「自分が正しい。自分はすごい」という頑固な父親
「自分が正しい。自分はすごい」という頑固な父親
自分に自信がない・人間関係が苦手・トラウマ・アダルトチルドレンからの克服~心理カウンセリングルーム(オンライン/大阪)の心理カウンセラー中田です。
今日は私自身のお話・体験記です。タイトルは ”「自分が正しい。自分はすごい」という頑固な父親” です。
幼少期、親がどんな人だったのか
今日は、私の父親の話を書こうと思います。
心の悩みを改善していくにあたって、幼少期の親がどんな人だったのかは、とても重要なポイントになります。幼少期の親からの影響はやはりとても大きいのです。
多くの悩みの根本原因が幼少期の親との関係にある、というケースはとても多いものです。(*それ以外ももちろんありますが。)
ということで今日は、幼少期、私の父親がどんな人だったのか、私自身の体験談を書いてみたいと思います。
「自分が正しい。自分はすごい」の父親
特に幼少期、私の父親は、非常に頑固な人でした。
「自分が正しい」「自分が一番偉い」と強く思い込んでいる人でした。
なので、母のことも、子どもたちのこともバカにしている雰囲気もありました。「自分が正しい、自分が一番偉い」んですからね。。
よく「お前達はバカだ」みたいな発言をしていました。
私自身も子どもの頃、言った言葉をいきなり全否定されることもよくありました。「それは違うぞ」と。
それとか、「これはやめて欲しい」のようなことを何度か言っても通じない。伝わらない。ということもよくありました。
父は、自分の考えや信念が非常に強固なので、それに合わないものは、おそらく全然頭に入らなかったのでしょう。または、一瞬頭には入っても、「それは違う」と思うと、その自分の考えだけを採用していたのでしょう。
しかも子どもの言うことは、下に見ているというか、「子どもの言うことだ。自分の方が上だ。正しい」みたいな感覚だっだんだんかなと、今となっては思います。
そういうことで、母ともよくケンカをしていました。母のこともバカにしていました。
今となっては、神経発達症(発達しょうがい)的な部分があったのかなとも思ったりしますが、でも、父の場合はおそらくそういうことじゃなく、もっと大きな原因があったのです。ここは後ほどもう少し詳しく話します。
とにかく、それぐらい「自分が正しい」が非常に強固で、「言っても伝わらない」面があったのです。
とはいえ一方で、父は情緒・感情的な面は強かったので、優しい面も強く持っていて、「自分なりに」納得できることなら、「自分なりに」強めの想いを向ける部分もあったのです。そういう面では母の方が、ずっとドライです。
とはいえ、、まあ、つまりは全部「自分なりに」「自分中心」ということなのかもしれませんね。
他人の意見を聞き入れることなどが、あまり、というか、かなりできない父だったんだと思います。
例えば分かりやすいエピソードがあって、いきなりですが、「元旦はあずき雑煮という”しきたり”は絶対」事件といいましょうか。(元旦はあずき雑煮は島根の?風習みたいですね)
同居していた父方の祖父が「もう甘いのはつらいから、元旦だけど醤油雑煮がいい」と言っても、「ルールはルール」「しきたりはしきたりだ」と、全員あずき雑煮になってましたし😅
「いいじゃん、お雑煮ぐらい、なんだってさ!好きなもの食べたらいいやんか!」と今の私は思いますが、当時は「おじいちゃんかわいそうだなあ。。別に醤油雑煮でもいいんじゃないかなあ。。。???」ぐらいの薄い感情しか持っていなかったです。
もう、そういうのが当たり前の中でいましたから。。
そんな親の元で育ったら
というわけで非常に強固な(とはいえ、だいぶん片寄った)信念を持っていた父の元、幼少期を育った私なのでした。。
母はとても自由な奔放な人なので、その点は真逆なので、まだ救われていたかもしれませんが、母は自由すぎて、あまり子どものことを細やかに見る感じではありませんでしたので、
私の中では「人には、言葉がなかなか伝わらないものなんだ」「人は物事をあまり理解できないみたいだ」みたいな思い込みが、両方面から作り上げられたかもしれません。。
けど、これは大人になるにつれて、家族以外の人と接する中で、「あれ?少し言えば、すぐに分かる人も居るんだな」と驚いて、「世の中の人は結構理解力ある人いるんだな!」みたいに、自分の思い違いに気づいた時もありました。
それから、
何かを言っても、父親の考えと異なっていたら「それは違う」と全否定されていたので、やがて、父の居る場で、自分が発言することが怖くなっていきました。子どもながらに学習して、否定されるようなことは言わなくなっていきました。
自分でも自覚してないような心の奥底では、上から押さえつけられることや理不尽なことへの反発心は強かったと思います。
表面上は何も言わない、大人しい人になっていきました。
そんな私が大人になったら
上記のような環境で育った私が、やがて大人になっていって、どういうキャラになり、どういう悩み・困難を抱えたか、というお話です。
20代、30代前半ぐらいまでは、特に強かったのが、
緊張する、緊張してうまく話せない。
目上の人からの評価が怖い。
認められたい、できる人だと思われたい。
などでしょうか。ここはわりと大きな悩みだったので、カウンセリングで解消に取り組みました。今はもう、ずいぶん軽くなった部分です。
それ以外にも、こんな面も多少ありました。
この辺は「良くも悪くも」という感じのものでしょう。私のキャラとして良い面でもあるし、過剰にこの面が出てる時は、悪い面にもなる、という部分かと思います。
この性質のおかげで仕事ができるようになったなど、おかげで自分の一部を作ってくれた面でもあるでしょう。
上から目線で言ってくる人や、理不尽なことへの反発心がある。立場等が上の人の言葉を鵜呑みにしない。
上の立場の人への厳しいジャッジの心。(「偉そうじゃないか?」「人の話を一旦聞こうとしてるか?」という面で。)
どんな人にでも、言葉が伝わるように頑張る。
人の言ってることをちゃんと理解したいと思う。人の話を先入観なく聴く。
人と対等でいたいと思う。人はみな平等だと思いたい気持ちが強い。仲間意識、横つながり意識が強め。
・・・
良い面でもあり、時には悪い面にもなる面だと思うので、これらは悪影響が出ることが増えたり、この面はちょっと気になるなと思ったら、またカウンセリングで解消しようと思います。
父がこんなに信念が強固だった理由
そして、父がこんなにまで、自分の信念が強固だったのはなぜだったのか、というお話です。
父がこんなにも頑固で、信念を曲げない、自分が偉い、自分が正しい、と信じ込んでいたのは、なぜだったのでしょうか?
もしかして、神経発達症(発達しょうがい)的な部分が少しあったのかな?と思ったりした時もあったのですが、多分そういうことより、もっと大きな原因があったのでした。
これは、あくまで私がカウンセラーとして思ったこと、また、自分がいくつかのセラピーを受けて感じたことです。あくまで「私は」そう捉えたという話であり、これが正解かどうかは分かりません。
私が思ったのは、父がこんな性格だったのは家系トラウマの影響がかなり強かったということです。
とてもシンプルにまとめると、父の祖父は戦争に行って、生きて帰ってきた人でした。戦争トラウマを抱えた祖父を、父が「助けたい、救いたい」という強い愛から来る心の奥の力動が、この強い信念になっていたということです。
父は非常に頑固であり、同じぐらい非常に愛情の深い人だということでもあるのです。
父がとても愛の深い人だということは私もよく分かります。人への想いが強いし、面倒見たい、心配性な気持ちが強い人です。それさえもコントロールしようと頑張っていた様子でしたが。愛とひと言で言っても、愛はいろんな形で現れます。。
*家系トラウマについては、こちらのページでも詳細を書いています。
上記のことを私が理解したのは、「家系トラウマ」のセラピーを受けてです。
頭でだけでなく、心の奥で上記を理解して、その後、私自身の人生も大きく変化し始めました。
祖父、父、私とつながっているのです。家族って(家系って)そういうものなんです。
これは、父のキャラのほんの一部です。
ということで、幼少期の父親のお話は、この辺りにしようと思います。
ここに書いた以外にも、様々なエピソードがありますので、また「心の悩み改善のヒント」になるようなお話は、ここにも書いていきたいなと思います。
父の名誉のために?失礼のないように?言っておきたいんですが、父のキャラは「頑固」「自分が正しい」面だけじゃないですからね!これは父のキャラのあくまで、ほんの一部です。
その辺は皆さん、誤解のないよう、どうぞよろしくお願いいたします^^