過去の私(自己開示)|社会人(20代で無職・ひきこもり)
過去の私(自己開示)|社会人(20代で無職・ひきこもり)
【アダルトチルドレン・うつ・対人恐怖症・愛着障害~人間関係専門の心理カウンセリングルーム(神戸・京都・大阪・東京)】の心理カウンセラー中田です。
今回のテーマは、”過去の私(自己開示)|社会人(20代で無職・ひきこもり)”です。
以下「過去の私の悩み(自己開示)シリーズ」の続きです。
2、過去の私(自己開示)|大学生の頃~人とうまく話せなくて・・
3、過去の私(自己開示)|社会人(20代で無職・ひきこもり) ←このページ
最初の就職で挫折
大学を卒業して、就職超氷河期の中、ぎりぎり就職先を見つけて、なんとか社会人になりました。
私の場合、氷河期だったからぎりぎりだったというよりも、大学生の頃も、人とうまく話せなかったので、採用面接はもちろん大苦戦で、やはり面接もがちがちに緊張したり、挙動不審だったり、頭真っ白でうまく言葉が出て来なかったりで、全然だめだったわけで、特に集団面接などになると、全然しゃべれないまま終了、というパターンでした。
そんな私だったので、ぎりぎり社会人になれた感じでした。東京の小さなIT会社(SE,プログラマー)に入社しました。IT関連は当時、どんな学部からでも入社できる大量募集の業界でした。
ぎりぎり滑り込んだ会社は、残業残業でハードな生活でした。東京勤務は通勤も大変で、7時前の電車に乗って23時前後に帰宅。時間的にも精神的にも疲れすぎていて、家に帰って寝るだけの生活でした。
このような生活を続けていたある日、帰りの電車の中で「なんのためにこんなことやってるんだろう」と涙が止まらなくなって、やがて会社に行けなくなりました。
「うつ」の診断を受けて、会社をしばらく休職し、結局辞めました。
診断は「過労のため」に「うつ」だったけど、それだけではなく、当時、人間関係もうまくできなかったことも、本当はかなり心の負担になっていました。
きつく接してくる上司もいました。部署の中で自分が役に立てているかいつも不安で、仕事できないのにここに居ていいのかと思っていました。デスクに居ることさえ安心できず緊張でいっぱいで、部署でランチ行くことも緊張して気が休まらなくて苦しかったし、他部署にいる同期たちにもあまり心を開けず、表面的な付き合いしかできませんでした。
私はここに居ていいのか、認められているのか、必要とされているのか、という漠然とした不安がいつもありました。人と居ると緊張するばかりで、全然安心感がなかったのです。
思い込みが強くて、プライドが高くて
今から思えば、当時の私は、プライドと、こうあるべきという思い込み(社会人になったらバリバリ働くべき、大人としてきちんとしないといけない、一回務めた会社を簡単に辞めてはいけない、仕事は辛いもの人生は厳しいもの、それを努力で乗り越えていくのが当たり前、会社に迷惑かけてはいけない、など)がとても強かったです。
当時の私は、きっととてもプライドが高くて、自分をガードしていたと思います。
なので、「うつで会社を辞めた」なんて、学生時代の友人たちに「恥ずかしくて絶対言えない」という感じでした。
「馬鹿にされる、笑われる」と思っていました。「あんたは相変わらずダメだ」「いったい何をしてるんや?」とか言われて傷つく、と思っていたので、ほんのわずかな友人にしか言えませんでした。家族にも言えませんでした。
なので、会社を辞めてからも、実家(島根)の家族にも言わず、ほとんどの友人に黙ったまま、学生時代に住んでいた関西には帰らずに、「東京で何か掴んでからじゃないと帰れない・・」なんて思っていました。
というわけで、東京のはずれの古いアパートでの孤独なひっそり生活が始まりました。無職のひきこもり生活です。
うつの治療・通院のためという名目のもあったけど、本当は「このまま帰れない、みんなに合わせる顔がない、笑われたくないバカにされたくない」というプライドのために、そんなことしてたんだと思います。
20代の頃は、友人たちに話せないことが結構ありました。20代は特に人生が全然うまくいっていなくて、友人に聞かれたくないことが沢山だったし、だから、友人と会いたくない話したくないということも結構あったなあと思います。
思えば、今となってはすっかりオープンになって、誰にどう思われても、なんて評価されてもほとんど気にならなくなったので、すごく生きやすくなったなあ、昔と全然変わったんだなあと、あらためて実感します。
無職・ひきこもり生活
会社を辞めてからは、ほとんど誰も知られず東京の端っこで、一人ひっそり、無職・ひきこもり生活をしていました。
「うつの休養のため」と自分に半分言い聞かせながら、(心の底では本当は何しているか分かってたけど)、本を読んだり、この先どうしていくかを漠然と考えていました。
貯金はどんどん減っていくので、その現実に恐怖しながら暮らしていたけれど、やがて「もうなんでもいいからバイトするしかない」状況になりバイト面接に行き、その帰り道かにたまたまハローワークの職業訓練を見つけて、そこに行くことにしました。
追い詰められてギリギリになって、社会復帰へのリハビリへの道が開けたのでした。
この状態になるまで、結局「誰にも頼れなかった」ことや「親と心の距離が遠すぎる、相談できない関係」という所も大きな問題の一つでした。
社会復帰への第一歩
その3か月の職業訓練は、リハビリと思っていこうと思いました。
「自分に甘くしよう」「ここでは何も頑張らない」「ここで人間関係で苦しくならないようにしよう、人と必要最低限しか接しないようにしよう」となんとなく思って行っていました。
なので、私の態度はさんざんなものでしたが、そこでも周りの人に恵まれて、意地悪されることもなく、親切にしてくれる人たちがいて、なんとか通い続けることができたのでした。
社会復帰のリハビリとしては、とても恵まれた環境だった、ありがたかったなと思います。
もう関西へ帰って就職活動しよう
やがて職業訓練が終わり、「この先どうしよう?」という段階にきました。
貯金も限界だったのもあって、これ以上ここでの生活はもう無理だと、やっと思えるようになって、「もう誰になんて批判されても笑われても仕方ない、とにかく関西に帰ろう。そして、再就職活動するしかない」という気持ちになりました。
これは、「うつ」がある程度回復してきたから出てきた選択でもあったと思います。
ぎりぎりまで追い詰められて、限界まで来てやっと思えたことではありましたが、それでも、あの時「もうなんでもいいから、とにかく関西に帰ろう」を選べたのは本当に良かったなと思います。
そして、とうとう関西に戻ることになりました。
懐かしの関西の空気。学生時代の知り合いたちが近くに居る、ある意味、緊張感のある新たな生活が始まりました。
ここから、再就職活動をして、ひきこもり生活から抜け出して、生活を立て直していくことになります。
といっても、「うつ」が少し回復したように見えるだけで、私自身の心の問題はそのままで、何も改善されていない状態のままなので、この先も相当苦しい日々が続くことになるのです。。
次回に続く・・
●「過去の私の悩み(自己開示)シリーズ」一覧
2、過去の私(自己開示)|大学生の頃~人とうまく話せなくて・・
3、過去の私(自己開示)|社会人(20代で無職・ひきこもり)
5、過去の私(自己開示)|20代後半・思い通りにならない日々
6、過去の私(自己開示)|運命の会社(職場いじめ・パワハラの経験)
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