過去の私(自己開示)|ひきこもりから社会復帰へ

過去の私(自己開示)|ひきこもりから社会復帰へ

【アダルトチルドレン・トラウマ・対人恐怖症・愛着障害~人間関係専門の心理カウンセリングルーム(神戸・京都・大阪・東京)】の心理カウンセラー中田です。

今回のテーマは、”過去の私(自己開示)|ひきこもりから社会復帰へ”です。

 

以下「過去の私の悩み(自己開示)シリーズ」の続きです。

1、過去の私|幼少期から高校までのお話

2、過去の私(自己開示)|大学生の頃~人とうまく話せなくて・・

3、過去の私(自己開示)|社会人(20代で無職・ひきこもり) 

4、過去の私(自己開示)|ひきこもりから社会復帰へ←このページ

 

ひきこもりから社会復帰へ

東京でのひきこもり生活から、学生時代に住んでいた関西に戻ってきて、新たな生活が始まりました。

生活の立て直しです。住むところを探して、就職活動を始めて、生活していく・・。

もちろん、対人恐怖症、緊張症のまま、人が怖い、人間関係苦手なのはそのままでしたが、それはすぐにどうこうできるわけでもなく、そのままで進んでいかざるをえませんでした。

*当時は、まだ心理カウンセリングとかセラピーは、ほとんど知られていませんでしたので、私もうつ等で病院の精神科などには通って、薬は飲んだりしていましたが、カウンセリング/セラピーの存在はまだ知りませんでした。カウンセリング/セラピーは、まだ身近なものではありませんでした。

 

カウンセラーとなった今、当時を振り返れば、当時は分かっていなかったけれど、私は通常の人よりはだいぶん、対人関係での緊張感は高く、神経も過敏で、日常生活もかなり消耗しながら暮らしていました。

自宅を出て、道で人とすれ違う、コンビニに入って買い物する、電車に乗って、人が近くに座る、対面で座り視線がぶつかる、そういった日常的なところから、既に緊張、恐怖などの反応が出ていたので、さらに、会社で多くの人と過ごすとか、デスクルームで人に囲まれて座っている、室内・狭いスペースに居る、ランチでみんなと話をする、なども、実は相当の負担だったんだなと、今となっては分かります。

通常の人よりは、人間関係に相当の体力・精神力を使って、頑張っていたのです。

そのような水面下でのハンディを抱えつつ、努力と根性で頑張り続ける、みたいなことを続けていました。私は、なかなかの頑張り屋だったのです。良くも悪くも。

普通になれるように、みんなと同じようになれるように、相当頑張ってついていこうとしていました。

 

再就職、そして、また辞めた

そんな中でも、うつや抗不安薬などの薬を飲んだりして、その場だけぎりぎり取り繕って面接で話し、なんとか再就職して、また会社に通い始めました。

その職場は社員のほとんどが女性の職場で、そこで人間関係が過去最高にうまく行かない経験をしました。

教えてくれる先輩がイライラしていて、言い方などもきつく怖く感じて、うまく接することができませんでした。

そのことで悩んでいるうちに、やがてその他の人たちとの関係もうまくいかなくなり居づらくなりました。

だんだんその職場がとても怖くて嫌な場所になって、仕事に行くのが嫌で嫌でたまらなくなり、今度は半年ももたず、すぐに辞めてしまいました。

 

女性は怖いと思うようになった

この頃から特に、女性が苦手、女性は怖い と思うようになっていきました。

 

過去に女性中心の会社で2回働いたことがありますが、確かに女性の多い職場は、男女比率の程よい職場よりは、やはり多少厳しい面はあるかと思います。

看護師の友人とか、クライアントさんのお話などを聞いていても、そういった傾向はやはりあるのかもしれません。(逆に男性だけの職場というのも、かなりギスギスしているとも聞きますが。)

 

とはいえ、当時の私の「女性は怖い」という気持ちは、だいぶん強めでした。

 

当時、話すことがとても苦手だった私は、言葉もすぐに出てこないし、気の利いたコメントもできずで、活発でテンション高い女性同士の会話についていって、テンポよく話していくことは、やはり相当難しかったのです。

当時の私は、「女性はみんな、きつい怖い」と思っていて、「女性は強い、怖い、厳しい、自己中、気を使わなくては、機嫌を損ねてはいけない、うまくやらないと」などと思っていました。

女性と接するときは、だいぶん警戒して、注意を払うようになっていました。

 

残業は二度としたくないと

というわけで、社会復帰の1社目で、職場の人間関係で失敗した私でしたが、当時は、自分が何でうまくいかなかったのかということを分かってはいませんでした。

この会社も残業の多い会社だったので、「残業が多すぎて、しんどかった」と、なっていました。本当は「職場で人間関係がうまくいかなかった」のですが。。

 

そのため、「もう二度と残業はしない」という決意にすり替わり、「絶対残業のない仕事につこう」、だから「派遣社員になろう」となりました。

確かに、それまで沢山残業して働いてきたのも事実で、過労でうつになったのも、確かにそうでしたが・・、

本当の問題は、「人間関係がうまくいかなかった」「人と居ると、緊張して、自分でいられなくて、とても苦しかった」など、そういうことだったんです。

 

派遣社員となる

そして、職場での人間関係に何度も失敗して挫折を繰り返し、「もう派遣社員になる」ということで、20代後半で派遣社員になりました。

そこは、わりと平和な業界で、穏やかな人間関係の職場で、残業もなく、やっと少し穏やかな日々が訪れました。

やっと少し生活が安定して、「とにかく、生活を続けることを考えなくてはいけない」「仕事は、生き残りをかけた戦い」のような状況から一歩抜け出した時期でした。

 

とはいえ、対人恐怖・緊張や漠然としたうつ状態は続いていて、お守りのように薬を飲んでいた時期もあったり、まだまだ綱渡りな面もありました。

人間関係も綱渡りで、「失敗しないだろうか、いつ嫌われるだろう」というような不安を漠然と抱えて生きていました。人間関係の中で、ずっと「安心感」がなかったのですね。

 

また、少しだけ安定が手に入ると、今度は「私はこれでいいのだろうか」「人並みに、他人に負けずに、ちゃんとできてるだろうか」と、人と比べて苦しさが出てきたりして・・。

「20代女子として、ちゃんと充実してバリバリ生きてるだろうか、キラキラ輝けてるだろうか」「同世代の友人たちに負けたくない」などの不安も強くなって来たりして・・

「痩せなくては、ダイエットしなくては」「恋愛・結婚は」「終わりのない自分磨き」など、これもまた、何とも言えないしんどい時期に入っていくのでした。

 

はい、もうずっと悩み・問題が山積みだったんです。。まだもう少し続きます。。

 

次回に続きます⇒

5、過去の私(自己開示)|20代後半・思い通りにならない日々

 

●「過去の私の悩み(自己開示)シリーズ」一覧

1、過去の私(自己開示)|幼少期から高校までのお話

2、過去の私(自己開示)|大学生の頃~人とうまく話せなくて・・

3、過去の私(自己開示)|社会人(20代で無職・ひきこもり) 

4、過去の私(自己開示)|ひきこもりから社会復帰へ

5、過去の私(自己開示)|20代後半・思い通りにならない日々

6、過去の私(自己開示)|運命の会社(職場いじめ・パワハラの経験)

 

 

 

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